P3のラストと主人公についての個人的な考察。

キタローとハム子の最後について、
中二病的なことをつらつらと書いております。

ペルソナと言うと、シリーズを通して
ユング心理学の考え方が根底に流れているようですが
私はユング心理学については全く分かりません。

あくまでゲームを通しての個人的な考察です。
物凄く的外れなことを言ってるかもしれません(;´∀`)

i173

ちょっぴり加筆・整形しました。

ニュクスのデザインについて

死と言うと髑髏などの禍々しい姿を想像しそうなものなのに、
ニュクスのデザインはむしろ神々しい。
卵とニューロンが合わさったように見える。

卵、命を生み出すということは同時に死をも生みだすということ。
生と死は表裏一体、死は生なくして存在できない。

そして、生とは記憶でもある。
例え死んでも他の人の記憶の中では生きている。
他の人の記憶が消えても、世界には記憶(痕跡)が残る。
これは無くせない。生きた結果を消すことはニュクスにもできない。

ペルソナの世界観では、死人は集合的無意識に同化して共通の記憶となっている。

トリニティソウルをみていたりすると、集合的無意識の中の人々は
個人の人格を維持しており、入れ替わったり蘇ったりしている。
一般的な意味を超えて、かなり強い意味を持っていると思われる。

キミの記憶は、
キミが生きた記憶であり、
キミを生かす記憶でもある。

エンディングでも

夢の中 目覚めたら また会えるよ

と歌われている。
記憶の中で主人公は生きているのだ。

「死」そのものであるニュクスは
「生」に寄生するようにして存在しているのではないか。

ニュクスのデザインが卵とニューロンという、
生の象徴でできているのはそのせいではないだろうか。

綾時君が人間や世界を深く愛していたのも分かる気がする。
彼自身は滅びを願っていなかった。
ニュクス自体は悪でも正義でもなく、単純に生の終着点という
ニュートラルな存在なのだろう。

主人公について

10年前の事故で、死という究極の結論をねじ込まれた主人公。
7歳の子供が目の前で両親を失い、死を受け入れるというのはどれほどの絶望だろう。

暴走したタナトスはオルフェウスを食い破るようにして出てきた。
デスの封印によって元の人格がどうなってしまったのか視覚的に分かる衝撃のシーン。

なぜか寮に入るまではファルロスに会ったりはしていないようだが、
どうでもいい」というのは、死を受け入れているからこその
諦め・無関心から発せられる台詞だと思う。

それを素直に出しているのがキタロー。
必死で否定しようとしてるのがハム子。

という印象を受ける。
ハム子の時折みせる無謀とも思える極端な発言はその現れではないだろうか。

だが、逆に「どうでもいい」ということは
「すべてを受け入れる」ということでもある。

空っぽであるが故に何にでもなれる、まさにワイルドの能力そのものではないか。

マザー・テレサによると愛の反対は無関心だという。
無理矢理「どうでもいい」精神状態にさせられた主人公は、
本当は誰よりも愛と絆を渇望しているはず。

絆は一方通行では得られない。
親戚をたらい回しにされ、転校を繰り返していた彼らには得られなかったはずのもの。
特にハム子は目の色の特異性もあって、周りに受け入れられにくかったかも。

転校し、彼らを受け入れてくれるコミュメンバーと出会い、絆を得て、
初めて
「生きることを始められた」(劇場版#4の名台詞)
のではないか。

ラストバトルについて

ニュクスとの戦いは死という概念との戦いだった。
生きている以上、ニュクスには絶対に敵わない。

だから主人公は大いなる封印の時、
命を投げ出し「生きていないもの」になる必要があった。

ニュクスも「生きていないもの」は殺せない。
結果的に生と死の狭間に身を置いているのは当然かもしれない。

ユニバースの力とは、集合的無意識と一体化すること、
世界の記憶と一体化することだったのではないだろうか?

集合的無意識、トリニティソウルでいう所の「鯨」の場所では
過去も未来も生き死にも関係なく、人々は繋がっている。
死んでなお、記憶は生きている。

とりわけペルソナの世界観では人格すらも維持しているようで、ならば
死んでしまった(あるいは植物状態の)荒垣先輩の声が聞こえたのも納得。

メサイアはタナトスとオルフェウスが合体してできるペルソナ。
無理矢理ねじ込まれた死を本当の意味で受け入れた主人公だからこそ
救世主たりえる力を得られたのではないだろうか。

死の本当の意味、命の答え=ユニバースの力。
それが集合的無意識との同化という、
世界中の魂との絆だったのではないか。

設定上、絆の力=ペルソナの力なのだから、これは究極の力と言える。
イゴールをして「なし得ないことはない」と言わしめたのも当然。

そういえば、ニュクス・アバター戦の曲名も
「全ての人の魂の戦い」である。

ニュクス・アバターは最後に
「惜しい、君達のような人がもっと多ければ…」と言っていた。
死を願う人の力がわずかに上回っていたということだろう。

ユニバースの力を手にし、集合的無意識と一体化した主人公は、
人類の歴史上全ての「生きたい」と願う人たちの力を手に入れた。
それは死を願う力の総量よりはるかに強いはず。
これならニュクスといえども封印されるしかないだろう。

例えニュクスであっても、今生きてる人は殺せても、
既に積み上がった世界の記憶は消し去れないのだから。

主人公達の記憶を残した世界、そして全ての生き残った人々は、
まさに主人公達の「生きた証」と言えるだろう。

エピソードアイギスの闇

なお、主人公達が封印状態で集合的無意識と
同化しているのかどうかは分らない。
もし同化していないならば、正直、それは死よりもなお孤独ではないのか・・・。

主人公達自身は約束の日に納得して満足して散ったはずだが。

プレイヤーとしては助けてあげて欲しい気持ちでいっぱいだよ!!

一番の被害者が全面的に尻拭いをさせられた挙句この仕打ちとかッ!!
とにかくベス様&テオに望みを託すばかりですよホント・・・(T_T)

コメントを残す




日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)